2018年北海道胆振東部地震から5年④備蓄品など
写真は2018年9月5日17時50分の石狩湾新港から南西方向を撮影した空。
逆側だと浦河沖~厚真町方面の空を撮影できましたが、撮影はしていませんでした。
2018年胆振東部地震を教訓に、備蓄を試行錯誤した結果、現在私はこんな感じで用意をしています。
基本は、自宅避難のための備えです。
①ラジオ
②災害用トイレ
③乾電池
④食料と水を3日分
⑤生理用品
⑥ランタン
⑦断水時用の給水袋(自分で持ち運べる重さの袋)
この7点がメインです。
それから、車に積んでいる物。布袋に入れて一緒にしています(ホッカイロが入っていた箱に詰めて、布袋に入れた物です)。
①箱ティッシュ
②ペットボトルのお水とお茶
③カップ麺と割りばし
⑤携帯用トイレ
⑥ふき取り型の歯磨き
⑦ゴミ袋
職場に置いてある物(万が一の備え)
①ラジオ
②小さな懐中電灯
③乾電池(ラジオと懐中電灯用)
④災害用トイレ
…こんな感じです。あ、あと災害用ストーブを用意しています。
自宅と職場に1台づつ。
これは、本当は職場に置く予定ではなかったのですが、真冬の極寒期に暖房機が故障したのですよ。
午後には復旧しましたが、真冬に出勤した時の室内の温度は2度とかです。
外に比べて屋内が暖かいといっても、寒いわけです。
その際に持ってきて使用していました。それをそのまま置いています。
やっぱり、冬の備えだなぁと。この1台があるのとないのとでは全然違いました。
非常時にはやかんでお湯も沸かせますし。
そしてそして、備蓄で色々調べたのが「断水時のトイレ用品」でした。
トイレパニックという言葉があるそうです。
人間は食事は一日一食でも我慢できるけれど、排泄は我慢できないと。
だから、トイレの備蓄は大切なんじゃないかしら?って思って、自宅と職場のロッカーに入れています。
備蓄で色々と考えたときに、即行トイレは我慢できないwって思いました。
あとラジオですね。
これは用意をお勧めします。
情報収集さえできていたら、通電が遅れても辛抱できると思いました。
ラジオを持っていたら、水とガスがあれば煮炊きができるから何とかなります。
特に震災発生から3日間はどれだけ正確な情報を得られるのかで、その人その人のメンタルが違うと思いました。
実際にデマが起きた際も、「ネットで流れている内容はデマです!」って発信して下さっていました。
SNSの情報収集も良いですが、ベースはラジオで、そこから派生して、テレビや新聞、ネットがいいんじゃないかな?って考えています。
節電要請が起きたら、テレビつけるのはやめておこうかなーってなりますし。
食料3日分ですが、自分が実際に体験して感じました。
直下型地震の場合、災害3日位から食料は手に入りやすくなる、と。
店頭に並ぶ食料品に偏りはありますが、こだわりがなければ結構色々手に入ります。
それに…一生懸命配達して下さっているのが分かるのですよ。
こんなメーカーさん知らないって県で製造しているヨーグルト等が店頭に並んでいましたから。
だから、津波で全部流されてしまったとかは厳しいけれども、手に入ります。
先ずは3日切り抜くための食糧備蓄をしておきましょう。
(私の場合は、変に自分の身体も緊張していて、あんまりお腹が空かなかったりしていました)
でね、3日備蓄をしておくと、長蛇の列に並ばずに済みます。これ大事。
不要なストレスを貯めない。これは災害を乗り越える知恵だと思います。
南海トラフ巨大地震が大きく取り上げられていますが、それ以上に切迫しているが北海道の千島海溝巨大地震です。
また、胆振東部地震により、北海道道央に走る石狩低地東縁断層帯や札幌圏にある断層にも刺激が入っているかもしれません。
北海道は開拓の歴史。約150年ちょっと。それ以前の歴史的文献や記録があまり残っていないそうです。
だから、北海道は地震が少ないと言われても信じない方が良い。
天地と「うまいことやっていく」それが地震など災害に向き合うことなのかな?なんて考えています。
結構正確だし、誠実そうなので参考にしています(麒麟地震研究所さんです)。
体感系の方々はあまり見ません。
理由は、んー不安を煽る人が多いから。
不安よりも、現実を受け入れる心と、冷静な情報収集と、それらから来る決断の方が大切だと考えているからです。
神様、仏様、ご先祖様のご加護は皆受けているし、人事を尽くして天命を待つスタイルが私は大好きです。
神仏の掌に居るのが私達。
一生懸命考えて準備して、頑張ったらあとは神仏にお任せです。
でも、それまでは一生懸命やる。
それでいいじゃんって考え方です。
お付き合い下さった皆様、ありがとうございました!
何かの参考になれば幸いです。
ではでは(^^)/~~~
2018年北海道胆振東部地震から5年③9月7日~9月8日
さて、昨日の続きです。
電気の有難みを感じながら起床して、はたと思いました。
「会社あるの??」って。
私の住んでいる所は通電しましたが、ラジオの情報ではまだ半分も通電をしていません。
どうなるの??
取り合えず、身支度をしてから会社の後輩に「そっちどう?通電している?」と聞いてみることにしました。
返事は通電していない…。
ということで、上司から連絡が来るまではお部屋で待機ということに。
その後、上司から会社が通電していないので、月曜日から出社して下さいと連絡がありました。
気にかけて連絡をくれた社員さんもいました。嬉しかったです。ありがとうございました。
さてさて。
お休みですかーじゃぁドラックストアに行ってみることにしました。
乾電池あるかなー?どうかなーと思っててくてくと…
すると…
なんじゃこりゃぁ!何この車列!!
通電エリアにガソリンスタンドがあり、これはその車列です。
自分の車にはほぼ満タンガソリンが入っていたので、ガソリンの事は全く気にしていませんでした。
わー凄い。これはスタッフさん大変だ。
確か20ℓor2,000円の給油制限(支払いは現金のみ)だったはずです。
このお店は、在庫が尽きるまでお店を開けてくれました。
(翌日は在庫切れでお店はclose。それでもひっきりなしにお店には電話がかかっていたようでした)
目当てのドラックストアで列に並んで、乾電池は買えず、お菓子を買って帰宅w
ドラックストアでは、ペットボトルやカップ麺等に購入制限がありましたが、大変な中お店を開けてくれていました。
皆被災者なんだもん。
お客さんの中には、これから厚真町、安平町等被災地へ向かうであろう方たちも。
そして、通電している、していないの会話がたくさん聞こえてきました。
買い物が終わったら帰宅して、ラジオで情報収集しつつ色々と作業。
そして翌日。
通電エリアが広がっていました。
新聞を買いにコンビニへ行くと、おにぎりやパンの購入制限が。
お店の方のお話によると、棚に並べたおにぎりを大量買いしたお客さんがいたと。
多くに方の手に渡るように、個数制限をしたと話していました。
この日中にほぼ道内は通電し、色々不便ではあるけれど、日常に向けて人々が動き出しました。
あ、あと、デマ出ましたねー。
もーって感じでした。
この空の写真は9月8日の夕焼けです。
やっぱり5年も経つと記憶が曖昧。
お付き合い下さりありがとうございました。
明日は、震災後に用意した防災グッズ等をご紹介します。
それから…今回のブラックアウト。
道内の一部の地域(離島を除く)では早期に通電しました。
1時間位で復旧した地域が、道内にはありました。
その地域とは、水力発電で電力が賄われている狭い地域です。
何故知っているのか?というと、実家がそうだったから。
奥さん、お宅通電するの早くないですかー??何でーー??
震災当日、たまたま実家近辺に出張に来ていた叔父が教えてくれました。
お前の父ちゃん、母ちゃん家ずるいってw。
そんなん知らんし!
両親に確認をすると、確かに1時間位で電気は使えたそう。
早いねー有難いねーなんて言っていたそうです。
その代わり、上記の写真の様に通電エリアにあったガソリンスタンドは大混乱だったらしいです。
地方から走ってきている方たちが、「ここで満タンにしておかないと何があるかわからん」状態になっていたそう(そのスタンドの車列に居たのがさっき出てきた叔父。話を聞いている分には面白いけど、自分が逆の立場になったらキツイ)。
両親に、電力事情を知っていてこの土地を購入したのかと言うと、「いいえ」と即答。
原発が止まっている影響もあるのかもしれませんね。
ブラックアウトになって知った出来事でした。
ちゃんちゃん。
2018年北海道胆振東部地震から5年②9月6日
震災当日9月6日3時7分。
前々日に台風21号が北海道に。
冬の爆弾低気圧と同じ感じで引きこもり準備をすればいいのかな?なんて考えて買い出しをしていました。
強い風が吹いていて、当時住んでいたアパートの屋根が剝がれるんじゃない?なんて考えていた記憶があります(それだけ古かった)。
台風が過ぎ、大きな被害もなく(停電もなかったし)良かった良かったと就寝して、爆睡していた時間帯に思いっきり携帯のアラームがなりました。
しかもアラームよりも先に地震が始まっていましたw
慌てて高いところにあった、祖父の形見が落ちないように押さえて、とりあえず揺れが収まるのを待ちました。
(その後、形見は目上の仏さんという理由で上に置いていたけれど、おじいちゃんは床置きに変わりましたw)
揺れが収まって、テレビを付けて大きな地震があったことを確認、家族からの安否確認の電話があって、その会話の途中に停電が起きました。
この時、私は災害用の備蓄というものを殆ど用意していませんでいた。
唯一あったのは、熊本地震後に購入した災害用ラジオ1コです。
あとラジオ用の乾電池2本。
このラジオと2本の乾電池が周囲と明暗を分けることになるのです。
眠れる訳はないし、どうしよう…思いついたのが、お墓参り時に線香に火をつける時に使用していた蝋燭と蠟燭台wおかあちゃんありがとう。
↓↓↓これが実際の写真です。
本当は火災の原因になるので駄目です🙅
この蝋燭が消える頃には気持ちも落ち着いてきたので、とりあえず明るくなるまで寝ましょってことになり、布団にgo!小刻みな揺れはありましたが、少し眠れました。
明るくなったので起きだしまして。
当時住んでいたアパートの部屋を見てみると、数か所亀裂が入っていましたが、それ以外は大丈夫。
片付けも必要なさそうで、ほっとしたのも束の間。
停電は解消していると思っていたら、あ、うそー付かない。
SNSで確認すると、全道で停電中とのこと。
(注:後で記載しますが、一部地域では通電していました)
部屋を確認をすると、ガスと水道は使える。
食事とトイレには問題がないので、取り合えず身支度。
食料は台風に備えての備蓄があったので、まぁ数日は大丈夫かな?という状態。
冷蔵庫がなーと思うけれど、こればっかりはどうしようもない。
運を天に任せるのみ。
軽く朝食を済ませ(こーゆー時ってあまりお腹空かないですよね)、さてさて、外はどうなっているのかしら?と散策開始。
徒歩でうろちょろ…。
これ実際の写真です。
信号ついてなーい。
譲り合いながら進んでいきます。
この時点で、会社は休みだろう、来いって言われても理由を付けて行くのを止めようと心に誓いました。
実際に、この状態で事故でも起こしたら大変です(本当に本当に危険)。
近くに災害時に避難所になる建物がありましたが、部屋が大丈夫だったので自宅避難をチョイス。
さて、写真向かって右側が2車線共に車が埋まっていますが、右は直進車、左はコンビニに入る為に渋滞です。
この渋滞しているコンビニに入ってみましたが、モバイルバッテリーや乾電池、ライターは売り切れ。
たくさんのお客さんが居て、棚などはガラガラ。
残っていたのは、コーヒーやお酒類、炭酸等。
店員さんが手作業でお会計をしていました。
重要「災害時は、ほぼ現金しか使えません」ここ大切です!
周囲を散策して、「これは下手に動かない方が良い。おっちょこちょいな私は転ぶw」と判断。帰宅をしました。
帰宅後上司から「会社も停電なので今日は臨時休業」との連絡が。
取り合えず、スマホのバッテリー残量が気になるので、近しい人だけ連絡を取りつつ、ラジオをつけっぱなしにして情報収集をしていました。
で、ラジオから色々情報が。
苫東厚真火力発電所がダメになっているとか、避難所の事、空いているスーパーやガソリンスタンド等々。
そして、NTTが公衆電話を無料で通話出来るようにしてくれていると情報が。
「これも経験!」と10円玉を手に公衆電話へ。
12時を過ぎると、携帯の電話状態が機種によっては不安定になっていました。
ラッキー!と思い、家族や、道外の社員さんに連絡を取り一安心。
(注:かなり記憶が曖昧で9/7日かもしれませんm(__)m)
帰りに近所のドラックストアを覗いてみると開いていた(しかし、長蛇の列)ので並んでみることに。
少し並んで止めました。この日は暑かったし、恐らく目当ての乾電池はないだろうと思ったのです。
こーゆー災害時は、緊張感と疲労感が交互に来るというか、何だか変な感じだった記憶があります。
帰宅後、休憩を取ろうと横になって、気が付いたら眠ってしまってました。
そして、18時頃。
ご近所さんの会話で目が覚めます。内容は、
「あそこのコンビニが電気付いているよ。ここも通電しているよ」
!!!
え!本当?!ブレーカーを上げてみると、電気が付いていました。
9月6日16時頃に通電したエリアだったそうです。
かなり早い通電エリアに住んでいたようでした。
通電が早い場所なんてブラックアウトを経験するまで知らんし。
やったーー!!
ほっとしたらお腹が空いてきて、晩御飯を食べてお風呂に入って…。
家族や親しい友人に連絡して。
節電要請が来ていたので、テレビは付けず、差し支えないコンセントは抜いて、基本はラジオをずーっと聞いていました。
こうして一日目が過ぎました。
2018年北海道胆振東部地震から5年①はじめに
お久しぶりです。
お変わりありませんか?
かなり久々のブログです('ω')
前々から考えていた内容をブログを書きたいと思います。
内容はタイトルにあります、「2018年北海道胆振東部地震」についてです。
恵まれた場所に住んでいたので、被災のダメージが小さかったのです。
そして、震災から5年が経過し記憶も曖昧になってきています。
しかし、これから来るであろう「千島海溝巨大地震」や、大型地震の際に何かの役に立てば…と思いブログに残すことにしました。
(実際に、東日本大震災や熊本地震の出来事をブログやSNSに残してくださっている記事は大変参考になりました)
また、改めまして、震災によりお亡くなりになった方々、被害に遭われた皆様に心よりお悔やみを申し上げます、
それではよろしくお願いいたします。